時計宝石修理研究所

HARAJUKU NEWS

「オメガの歴史を解説」

2021.03.20

〜オメガの歴史をご紹介します〜

オメガの歴史などをご紹介します。

1848年、23歳のルイ・ブランがラ・ショー・ド・フォンに時計の組立工場を設立したのがオメガの始まりです。

カギ巻きの懐中時計が最初の製品でした。

1877年、長男をパートナーに迎え、ルイ・ブラン・アンドフォルズ社を創設します

大規模な時計製造を目指すには、労働力の確保こそが発展に必要と彼れは判断しました。

労働力の基盤を整え1880年、機械式シリンダー・エスケープメントのキャリバーを発表し、このキャリバーを使用した懐中時計「ジュラ」、「パトリシア」、「へルベチア」、「ケルティック」を発表しました。

イギリスを中心とするヨーロッパの市場で販売し、成功をおさめ、販売網を確立し、南北アメリカへも販売網を広げました。

広く一般に受け入れられる高品質の製品と、市場動向を読んだ確実なマーケティングが成長をもたらしたです。

1889年には従業員600人で年間製造本数10万本というスイス最大の時計メーカーに成長しました。

1894年、オメガ19ライン・キャリバーの開発にのりだし、オメガにとって、記念すべき年となりました。

分業システムを導入して製作された最初のキャリバーで、この製造方式がその後の時計製造に大変大きな影響をおよぼしました。

19ライン・キャリバーは当時の技術として最高傑作と評価され、「究極」を意味するオメガと命名されました

1903年には、「ソシエテ・アノニム・ルイ・ブラン・アンド・フレール・オメガ ・ウォッチ」と社名にもオメガ が加えられました。

その後の1947年に「オメガ ・ルイ・ブラン・アンド。フレール社」に変更されました。

1982年に皆様おなじみの社名を「オメガ 」社と変更しました。

そしてオメガは究極と信頼性のを証明してきました。

海底や極地の探検や調査の装備としてオメガは冒険家達の腕にありました。

中でも、宇宙飛行での計時機器として活躍した「スピードマスター」が有名です。

何本か時計が選ばれ、宇宙の環境を想定した過酷なテストが繰り返し行われました。

選ばれたクロノグラフの中で唯一、全てのテストに合格したのがスピードマスターでした。

1965年3月1日にアメリカ航空宇宙局がオメガ スピードマスターを宇宙飛行士の標準装備品として認定されました。

「精度、信頼性、堅牢さ、操作の簡便さ」が選ばれた理由です。

スピードマスターは、30分計と12時間計、タキメーターを備えた手巻きクロノグラフでした。

ケースは、イギリス海軍の要望で開発された、3重密閉構造のシーマスターケースが使用されています。

1965年、ジェミニ計画の宇宙飛行士が初めてスピードマスターをつけて宇宙飛行をしました。

1969年に行われたアポロ11号の人類初の月面着陸でもスピードマスターの信頼性は確かなもので、地球の重力の6分の1である月面でも正確に時を刻みその正確さを証明しました。

その後、ロシアも宇宙飛行士用公式時計としてスピードマスターを採用しました。

有名なモデルはスピードマスターだけではありません。

海底探査のために製作された「シーマスター 」など究極の相棒としてオメガは存在し続けてきました。

オメガは他の分野でも有名で、オリンピックの計測時計として21回もの歴史的瞬間を記録してきました。

ストップウォッチからビデオ画像記録を連動することができる電子時計装置など、スポーツに関わる大切な瞬間にオメガがありました。

今では、1000分の1秒の計測を可能にし、技術力の高さを証明しています。

広い分野のプロフェッショナル達に支持されています。

「日常の時計」「極地の冒険」「宇宙飛行」「海底探査」「スポーツ」など、「究極」のそばにはオメガの存在がありました。

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