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修理実績
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REPAIR RESULTS
2018.09.01
修理レポート
御来店ありがとうございました… 「止まってしまったので…」とオーバーホールで承り致しました。 御父上さまから受け継いだ大切な時計でインターネットで色々お調べになられ、様々な時計修理のお店をお調べになられたそうですが、いつも前を通る当店なら安心してお預けいただけるというお言葉いただきました。 本当にありがとうございます。 お客様ご自身がお召しになった後もご子息さまにお譲りしたいと仰っていました。受け継がれる思い、本当に素敵なことだと私は思います。 そのご期待にお応えできるよう我々も誠心誠意で施術させて頂きました! 〜歴史〜 オーデマ ピゲの歴史の始まりには、2人の主人公がいる。 物語の舞台は、スイスのジュウ渓谷に位置する町、ル・ブラッシュ。 1875年、この町に小さな時計工房が誕生した。 工房の主は、当時22歳のジュール=ルイ・オーデマ。 一人目の主人公である。彼の才能は、修業時代から時計界では知られた存在だった。とりわけクロノグラフやリピーターといった複雑機構を得意とし、工房設立後すぐに名だたる時計メーカーから仕事が舞い込んできた。それは一人では作りきれないほどの数。 オーデマ家とピゲ家がメゾンの歴史を紡ぐすぐさま彼は、もう一人の時計師に声を掛けた。その時計師が二人目の主人公、エドワール=オーギュスト・ピゲである。 エドワールは、ジュールの2歳年上で、同じ小学校に通った幼馴染。2つの才能が出会ったことで、ジュウ渓谷の小さなアトリエから、さらに複雑なムーブメントが生み出されるようになり、より多くの時計メーカーに納品されるようになった。 そして1881年、2人は一大決心をする。メーカーからの下請けではなく、自分たちのブランドを設立すると決めたのだ。こうして翌1882年、正式に今ある「オーデマ ピゲ」の名が、ル・ブラッシュに誕生した。 ブランド設立に当たり、二人の間で明確な役割分担も決まった。ジュール・オーデマはムーブメント開発に専従し、エドワール・ピゲは営業を担当。ジュールが生み出す複雑機構を、完璧に理解できる時計師であったエドワールが営業し販売する。このコンビネーションにより、オーデマ ピゲの時計が名声を得るのに、それほど時間を要しなかった。1888年には、すでにあったロンドンに続いて、パリやニューヨーク、ベルリン、ブエノスアイレスにも代理店を開設している。これは、エドワール・ピゲによる業績である。革新性にも満ち、1892年には、ジュール・オーデマによって世界初のミニッツリピーター搭載の腕時計が生み出されている。 以降オーデマ ピゲは、現代にいたるまで一度も途切れることなく連綿と、優れた時計製作に従事してきた。二人の創業者の息子たちもまた、優秀な技術者として、また経営者として手腕をふるった。1927年に生まれた世界最小ムーブメントは、息子たちの業績である。またジュール・オーデマの孫も、時計師としての才能を受け継ぎ、薄型ムーブメントの名機を生み、1972年には今もメゾンのアイコンである「ロイヤル オーク」の誕生にも貢献した。 そして現在もオーデマ家とピゲ家の子孫と親族によって、メゾンは所有されている。グループに属さず、自主性を発揮できるから、オーデマ ピゲの時計は、オリジナリティ豊かなのだ。
修理依頼理由
「止まってしまったので…」と時計修理のご相談でご来店くださいました。
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