時計宝石修理研究所

HARAJUKU NEWS

「パテックフィリップの歴史を解説」

2021.02.28

〜パテックフィリップの歴史などをご紹介します〜

世界三大時計メーカーの一つであるパテックフィリップは、デザインからムーブメントの製造まで一貫して行なっているマニュファクチュールである。

創業から数多くの伝説を時計史に刻み、時計業界の頂点に君臨している。

このパテックフィリップの歴史を紐解いていこうと思う。

1814年、ナポレオン1世の進攻に勝利したロシア帝国は、ウィーン会議で「ナポレオン1世が設立したワルソー大帝国をその支配下に置く」という権利を勝ち取った。

これによりポーランドは事実上ロシアの領土となるのであった。

その後ワルソーの地を中心としたポーランドの動乱が発生する。

抵抗もむなしくロシア軍に鎮圧され、強固な支配下に置かれてしまう。

この動乱後、近隣諸国に亡命する人々は後を絶たなかった。

その中にアントワーヌ・ド・パテックという貴族がいました。

彼はスイスのジュネーブに安住の地を求めたのたのでした。

スイス時計産業が確立したのは16世紀末から17世紀にかけての時期です。

この時計産業を支えた人のほとんどがフランスやドイツから亡命した時計職人たちでした。

当時の時計職人は天文学などと密接な関わりをもっている知識階級でした。

当時のローマ・カトリック教会の腐敗に反旗を翻し、宗教改革を全面的に支持していました。

その反動としてローマ教会の弾圧が活発化し、行き場を失った時計職人たちは宗教の自由と安全を求め、スイスやベルギーなどに亡命をしました。

アントワーヌ・ド・パテックも彼らと同じ亡命者である。

パテックが彼らと違っていたのは、時計職人ではなかったとことである。

パテックは時計産業に一生をかけると心に決めたのであります。

しかし彼は、その生涯で天才的な時計職人と出会うこととなる。

それがフランソワ・チャペックという時計職人である。

1839年に、パテック・フィリップの前身である「パテック・チャペック社」を設立した。

10名前後の小規模な工房でしたが、製品の評価は高かったので、1844年に開催されたパリ万博に出品するまでに成長した。

この万博でパテックは、運命的な人と出会うのでありました。

その運命的な人物は時計職人アドリアン・フィリップです。

当時の時計はリューズの代わりにカギで時間調整やゼンマイの巻き上げをする、カギ巻き方式でした。

この方式は機構上の特性でトラブルがかなり多く、取り扱いが非常に厄介でありました。

彼はその改善策を日夜模索し続けました。

1838年スイスでリューズ巻き方式開発された。

彼がこの機構を目にした時、カギ式に変わる機構はこれしかないと確信しました。

アドリアン・フィリップが試行錯誤の末に、リューズ巻き方式を当時流行していた薄型ポケット・ウォッチに搭載させたモデルを開発しました。

1844年のパリ万博へ出品し、見事に入賞を果たします。

この入賞で時計職人としての名を世界にとどろかせました。

このアドリアン・フィリップに、この時計の機構特許を莫大な費用で買い上げ、自分の会社の工場で一緒に働かないかと誘った人物がいました。

その人物は、皆さんお分かりかと思います。

アントワーヌ・ド・パテックです!

フィリップはこの誘いを受けました。

1851年、パテック・チャペック社から「パテック・フィリップ社」へと社名を変更し、パテック・フィリップの本格的な時計製造が始まりました。

1848年にはゼンマイで稼動する秒針付き時計を開発しました。

1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会に作品を出品し、金メダルを受賞しました。

この時計を気に入ったビクトリア女王はブローチ型の時計を購入しました。

ビクトリア女王はパテック・フィリップの重要な顧客となりました。

その後、プーシキンやワーグナー、トルストイをはじめとする多くの名だたる人たちから支持を受けました。

1877年にアントワーヌ・ド・パテック、1894年にアドリアン・フィリップがそれぞれ、この世をさりました。

彼らの意志を継ぎ新たな経営が始まりました。

文字盤製造会社を経営していたスターン兄弟がパテック・フィリップ 社の経営権を取得しました。

1920年代に入ると生産ラインを腕時計中心に切り替えました。

1930年に96タイプと言われるモデルが発表されます。

我々がよく知る、完璧な美しさと精度を誇るモデルで、パテック・フィリップの代名詞とも言えます。

1932年に発表したモデルが「カラトラバ」です。

ドレスウォッチの最高傑作と称され、日本の皇族にも愛用された歴史を持つモデルです。

その後も、「ノーチラス」「アクアノート」などのコレクションを発表しました。

多くの特許を取得し、数々の複雑機構を発表し続けました。

現在も、ほとんど手作業に近い方法でパテック・フィリップの時計が生産されています。

1つの時計を完成させるまでに、最低でも9ヶ月かかるという神話があるぐらいです。

パテック・フィリップは、長い歴史の中で数多くの名作を送り出し、高い評価を受け続けた結果こそが、現在の地位を確固たるものにさせました。

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