時計宝石修理研究所

HARAJUKU NEWS

「A.ランゲ&ゾーネの歴史を解説」

2021.02.14

〜A.ランゲ&ゾーネの歴史などをご紹介します〜

 

ブランド名である「A.ランゲ&ゾーネ」は「アドルフ・ランゲとその子供たち」を意味しています。

1825年、創業者である「フェルディナント・アドルフ・ランゲ」は生まれました。

ドイツ・ドレスデンの技術学校に通ったアドルフ・ランゲは、パリなどで時計職人としての修行をつみまいした。

1845年にザクセン王室の支援をうけて、ドイツ東部のグラスヒュッテに「A.ランゲ・ドレスデン」を創業します。

過去に銀の採掘などでグラスヒュッテは栄えていましたが、その頃は、財政難で苦しんでいました。

このような状況を見たフェルディナント・アドルフ・ランゲが、若い時計師を育成する地域復興事業計画を提案し、ザクソン王国から承認を受けるかたちで時計工房を開設しました。

1868年、長男のリヒャルト・ランゲが経営に参加したタイミングで、社名を「A.ランゲ&ゾーネ」に改めました。

1875年にアドルフ・ランゲは60歳でこの世を去るが、この時グラスヒュッテは、精密時計生産地帯に変貌していました。

順調に成長を続け、20世紀初頭の第一次世界大戦と世界大恐慌は無事に乗り越えましたが、第二次世界大戦の影響で大きな変化を迎えます。

終戦前夜の空襲によって本社が消失してしまいました。

終戦後の1948年には、資本を社会主義国東ドイツに接収され、グラスヒュッテ国営時計会社に統合されてしまい、A.ランゲ&ゾーネというブランドは消滅しました。

A.ランゲ&ゾーネの最盛期から消滅までを体験した、ランゲ家4代目のウォルター・ランゲは復活を誓った。

1948年にベルリンの壁の西側、プフォルツハイムに亡命し、時計工房を開き、A.ランゲ&ゾーネ復活の機会をうかがいました。

ドイツ国境に近いスイス・シャフハウゼンに拠点を置く時計メゾンIWCと協力関係を築きましたが、1970年代に襲ったクオーツ・ショックにより復活の機会は絶たれました。

1989年11月に遂にその時が訪れました。

ベルリンの壁の崩壊です。

IWCの社長であり、ドイツ人のギュンター・ブリュームラインと共に「A.ランゲ&ゾーネ」の復活の行動を始めるのでした。

1990年、東西ドイツが統一されるとすぐに、A.ランゲ&ゾーネの再登記と商標登録を行い、ザクセン州(旧グラスヒュッテ)に本社「ランゲ・ウーレンGmbH」を設立し、42年という歳月をかけ復活を果たしたのでした。

現在も「A.ランゲ&ゾーネ」はグラスヒュッテの伝統工芸を守り続け、化学的手法とマイスターの手仕事による精密な時計製造を行う世界有数のブランドとなりました。

1992年に新生A.ランゲ&ゾーネ初の特許「アウトサイズデイト」を出願します。

1994年には復活コレクション第一弾として「ランゲ1」「アーケード」「サクソニア」などをリリースしました。

そして2000年に再建を支援していたIWCと共に、リシュモングループの傘下に入りました。

Aランゲ&ゾーネは現在もグラスヒュッテの伝統工芸を守り続け、化学的手法とマイスターの手仕事による精密な時計製造を行うことで、世界有数の時計ブランドまで急成長を遂げました。

今では世界5大時計として認知されるまでになりました。

この復活劇には、ウォルター・ランゲの信念の言葉がありました。

「時計だけではなく、何よりも自分自身に要求するべきことがある。それは、決して立ち止まってはならないということだ。」

これからも「A.ランゲ&ゾーネ」は決して立ち止まることはないでしょう。

今回は「A.ランゲ&ゾーネ」をご紹介いたしました。

 

当店では、「他店で断られた」「メーカーで修理できない」などのお時計やジュエリーを修理させて頂いており、実績もございます。

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