時計宝石修理研究所

HARAJUKU NEWS

「ブレゲの歴史を解説」

2021.03.04

〜ブレゲの歴史などをご紹介します〜

 

1747年1月10日、スイスのニューシャてるでアブラアム=ルイ・ブレゲは生まれました。

15歳でスイスを離れ、フランス・パリへ旅立ちました。

ヴェルサイユの時計職人の元で修行を積むことになります。

当時のフランスでは、一握りの上流階級の人だけが時計を持つことができました。

1775年に独立し、自分のお店をオープンしました。

まず最初に着手したのは、自動巻機構でした。

この機構はスイスの時計職人ペルレによってすでに発明されていたが、実用性がかなり悪く評判があまりよくありませんでした。

ブレゲはこの機構を改良し、実用性を高くする事に成功しました。

この成功は、すぐに王侯貴族たちの元に届きました。

1783年、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットから懐中時計の製作という注文依頼がきました。

その注文内容は「金額、製作期間の制約は一切なく、出来上がった作品は時計のあらゆる機構を持ち最も優れ、最も美しい時計で時計であること」というとんでもない注文を受けました。

ブレゲは、全ての仕事を中断し、この時計製作に入りました。

1789年、バスティーユ監獄襲撃に端を発するフランス革命が勃発しました。

王政は廃止になり、王党派とみなされた多くの人々は粛正を受け、ブレゲもその中の1人とみなされ、パリのお店は没収されました。

1793年、ブレゲはスイスへ帰国するのでありました。

スイスののどかな地で2年間を過ごす事になります。

ブレゲはこの2年間に数多くの機構を発明をします。

皆様よくご存知かと思います。

「トゥールビヨン機構」「永久カレンダー機構」「引き打ち機構」「レバー式シリンダー脱進機機構」など時計の発展に数多くの発明を誕生させました。

1795年、2年間のスイス生活から再びフランス・パリの地を踏むこととなる。

スイスでの発明もあり、再びパリにお店を開きました。

1802年に、マリーアントワネットからの注文による超複雑時計が完成するのでした。

完成までに19年もの歳月がかかりました。

自動巻き、永久カレンダー、ミニッツリピーターなどの超複雑機構を全て搭載させた、複雑時計の金字塔と呼ばれる作品となりました。

完成したこの時計を見ることなくマリーアントワネットはこの世を去っていました。

史上最高の時計職人という称号をえたブレゲは、1823年にこの世を去りました。

ブレゲの発明した機構は、現在の腕時計に備わる機構の約70%を発明・改良したと言われています。

現在では、ブレゲの功績に対し、「時計の歴史を200年進めた」や「時計業界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称えられています。

ブレゲの発明は機構だけではなく、外装様式でも画期的な発明を残しています。

「ギョーシェ彫り」と言われる文字盤に規則的なパターンを彫り込む加工で、今では多くの腕時計メーカーがこの技法を使っています。

「ブレゲ針」ブレゲ創業時に誕生し、ブレゲを象徴する針です。

「コインエッジ装飾」ケース側面をコインのようにギザギザさせた装飾です。

など数多くあります。

現在でも、製作するモデル一つ一つに、ブレゲの熱い想いが引き継がれています。

ブレゲの人気モデルをご紹介します。

「ブレゲ クラシック」このモデルはブレゲの「理想の時計」を典型的に表現したクラシカルなモデルです。

ブレゲ愛好家に熱烈に支持されています。

「ブレゲ マリーン」このモデルはフランス海軍のマリン・クロノメーターからヒントを得たマリーンウォッチに仕上がっています。

現代人の要望に応えるために作らあれたモデルです。

「ブレゲ アエロナバル」このモデルは、1950年代に海軍航空部隊のパイロットのために開発された歴史あるモデルです。

「ブレゲ トランスアトランティック」このモデルは、アエロナバルに日付表示を搭載した実用的なモデルです。

などなど人気のモデルは沢山あります。

時計の世界に伝説的な進歩と発展をもたらしたアブラハム・ルイ・ブレゲ。

彼の技術と時計への熱い想いは現在でも受け継がれています。

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