時計宝石修理研究所

HARAJUKU NEWS

「ジャガールクルト  ムーンフェイズ 修理」

2021.02.07

〜ジャガールクルト ムーンフェイズの修理を承りました〜

「時計業界の技術屋」の異名を持つジャガールクルトの歴史をちょっとだけご紹介します。
1833年、スイス・ジュラ山脈のジュウ渓谷にあるル・サンティエにて、独学で時計の製造技術を習得したアントワーヌ・ルクルトが農業を営む実家の一部に工房を構えたのが始まりと言われています。


彼は時計職人であり、時計の製作に必要な機械の設計も手がけるエンジニアでもありました。
工房を構えてから11年ご、のちに時計の歴史に名を残すことになるミクロン単位まで測定できる計測器「ミリオノメーター」を発明し、時計の精密部品の精度調整や製造を可能にしました。


1866年にはジュウ渓谷に本格的なマニュファクチュール「LeCoultre&Cie」を設立します。
当時、時計製造におけるいくつもの工程、数100を超える工房で分担して行うのが一般的でしたが、時計職人や工房を一つの場所にまとめることで、生産性を高めることが可能になりました。


ルクルト家のマニュファクチュールに所属するスタッフが500人を越え、「ジュウ渓谷のグランド・メゾン」と呼ばれるようになりました。
1900年代に入ると、高級時計ブランド「パテック・フィリップ」のムーブメントの大半を手がけるようになり知名度はますます高くなりました。
1903年にフランス・パリに拠点を置き、フランス海軍の時計を手がけていた時計職人のエドモンド・ジャガーから、超薄型ムーブメントの開発・製造の依頼がありました。


LeCoultre&Cie社がこの難題を引き受け、見事に超薄型ムーブメントの開発に成功しました。
1907年に成功した「ルクルト製キャリバー145」という厚さ1,38mmという世界で最も薄いムーブメントで、現在でも懐中時計用ムーブメントとしては世界最薄の記録は更新されていません。


LeCoultre&Cie社は、ムーブメントや部品の供給メーカーから、時計メーカーとして本腰を入れるようになりました。
1931年、現在もジャガールクルトを代表する名作「レベルソ」が誕生します。
ラテン語で回転するとう意味を持つ「レベルソ」。


当時、貴族階級ではポロが流行っており、「ポロ競技の激しい衝撃にも耐えられる腕時計を作って欲しい」という要望を受け生まれた時計です。
時計メーカーとしての成功の裏には、長年のエドモンド・ジャガーの協力がありました。、1937年についに両者は統一し、「ジャガールクルト」が誕生しました。


現在も、パテック・フィリップやヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲといった名だたる時計ブランドへムーブメントを供給し、ジュウ渓谷にあるマニュファクチュールには、創業当時から継承される「時計業界の技術屋」としてのクラフトマンシップや自社製品における発明への探究心が衰えることなく根付いてます。


これからもジャガールクルトの時計が、世界の人々を魅了し続けることでしょう。
「時計業界の技術屋」の魂がこもったジャガールクルト ムーンフェイズのオーバーホールが完了いたしました。

NEWS一覧へ戻る

各店舗別TOPへ戻る

SERVICE

fb

Instagram

WATCH&JEWELRY REPAIR LAB SNS